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暮らす

“STAY GRAY”な
僕らの世代

湊 三次郎さん
銭湯活動家

2020年10月よりニーチェアエックスシリーズに加わる新色「グレー」。 “グレーゾーン”といった言葉もあるように、ときに物事の中間やどちらとも付かない状態に喩えられることもある色ですが、そもそも人の一生は、先のわからない“あいまいな”出来事の連続です。

だからこそニーチェアエックスは、ライフステージを重ねるごとに変わりゆく生活のスタイル、暮らしのあらゆるシーンに寄り添う道具として、生活者の皆様と人生を共にするような存在でありたいと、ものづくりに取り組んできました。このたびは、そんな想いを新色に込めて「STAY GRAY あいまいを、楽しもう。」とのコンセプトを新たに掲げます。

ここでは、新しい働きかた、生きかた、価値観が広がる世の中で、自分らしいワークライフスタイルを切り開く “STAY GRAY” な世代の生き方に迫ります。今回は、24歳という若さで銭湯『サウナの梅湯』を受け継ぎ、現在では京都と滋賀に4つの銭湯の運営をはじめ、銭湯という日本のカルチャーを国内外、老若男女に幅広く発信されている銭湯活動家の湊 三次郎さんを訪ねました。

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銭湯『源湯(みなもとゆ)』

京都の昔ながらの街並みが残る地域、紙屋川沿いにある銭湯『源湯(みなもとゆ)』。曲がり角に光る看板は味わい深く、縁側から入り口に伸びる立派な松の枝ぶり、ブルーグレーのタイルにガラス格子のハイカラな外観が、昭和3年創業の古き良き佇まいを感じさせます。

「このあたりは銭湯の多いエリアで、ここから徒歩10分圏内にも4軒ほどあるんですよ」と、暖簾の間から顔をのぞかせ迎えてくれたのが、この『源湯』を経営する湊 三次郎さん。

この地域では、町家文化の名残が今も生活の一部として根付いているといい、今日もご近所さんが石鹸とタオルを入れた桶を抱え足繁く源湯に通う。「銭湯というのは庶民文化で、歴史を辿ると日本全国どこにでもありました。今でいうコンビニみたいに当たり前な存在で、身近なものだったんですよね」と湊さん。

そんな銭湯も、近年では軒数が減り続けており、その廃業スピードも年代を経るごとに加速してきているのだそう。「京都でもここ数年だと、年に7軒のペースで減っていっています。このままだと、10年後には銭湯はほぼなくなってしまう。いま銭湯をやっている経営者が70代前後なので、年齢的にも引退を考える頃。銭湯って基本的に家族経営で、息子娘がやらないんだったら、ここでもうお終いにしようと思っている方も多いんです」。

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 湊三次郎さん(銭湯活動家)

湊さんは静岡県の出身。地元には銭湯が1軒もなく、大学時代を過ごした京都の下宿先の近くにあった銭湯で、初日に引っ越しの汗を流したのが“銭湯デビュー”のはじまりだったそう。「京都での一人暮らしが始まって、周辺を散策してみると結構な数の銭湯があって、いろいろと行くようになりました。地域の人たちが集まって、日常的に利用している生活感がすごく新鮮だったんです。誰でも入れるお風呂が街にあるって、よくよく考えたらすごいことだなって。それが、銭湯にハマるきっかけでしたね」。

それからは関西圏を中心に全国のあらゆる銭湯を巡ったという湊さん。「もともと、ひなびた雰囲気のものが好きで、いわゆる銭湯マニアの人たちがアップしているホームページで“激シブ”な銭湯の情報を見つけては足を運びました。広島にある島の銭湯では、番台に誰もいなくて。どうしたらいいんだろうって立ち尽くしていたら、常連さんが来て『ここに、お金置いておけばいい』って教えてくれて、結局最後までお店の人に会わずに帰るなんてこともありました」。

学生時代、そうした味のある銭湯との出会いを重ねるうちにも、お気に入りの銭湯が次々と暖簾を下ろす場面を目の当たりにすることに。「界隈の人たちも、なんとかしないとねと言ってはいるけれど、イベントを企画して盛り上げるとか、その程度のことしかできなくて。経営者も危機感はあるけれど、なんのアクションも起こさないし。自分が銭湯側だったらもっとこうするなとか、ファンとしてももう一歩入り込んだことをやっていきたいなという気持ちが次第に強くなっていきました」。

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「銭湯ファンとして、もう一歩入り込んだことがしたかった」と湊さん

“24歳での継業。銭湯経営の決意と道のり。”

その後、大学を卒業した湊さんはアパレル系の会社に就職。「入社から10ヶ月くらいした頃に、京都・五条の『サウナの梅湯(うめゆ)』が廃業するらしいと聞いたんです。梅湯は、学生時代にアルバイトをしていたこともあり良く知っていたので、思い入れもあって。飛び乗るような勢いで、気が付けば会社を辞めていました」。

そうして『サウナの梅湯』を受け継ぐことになったのが、2015年。「まわりからは辞めておいたほうがいい、手を出さないほうがいいと、散々言われましたね。たしかに経営の状況や設備環境も悪かったですし、もともとあの地域は遊郭街として栄えていたこともあって、外からのお客さんは近寄り難い雰囲気もあって。かなりのマイナスからのスタートでした」。

それでも湊さんの心は変わらず、「なんとか銭湯という文化を広めたい、残していきたいなと。今でこそ、いろいろなメディアで銭湯やサウナの文字を見かけますけれど、当時って、銭湯がまだ全然認知されていなかったんですね。特に若者は知らないから、良いも悪いもないわけで。根拠はないけれど、知ってもらえれば良いと評価してもらえる確信がありました」。

当時の湊さんは、24歳。「あまり何も深く考えていなかったんだと思います。バッとはじめちゃった。誰もやらないんだったら、僕がやろうという使命感みたいなものもあったと思います。全然若かったし、もし失敗しても、どうにか足がつくかもしれないなという気持ちもあったのかな」。

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湯上がりのお客さんが過ごす「くつろぎスペース」には、おばあちゃんちのような懐かしさが

いざ、蓋を開けてみると「1日の入浴客は平均60人くらい、毎月20万ほどの赤字。それをいきなり自分が背負うわけにもいかないので、基本的に仕事は全部自分でやることからはじめました。自分一人で出来れば人件費はゼロじゃないですか。あとは、燃料を油から廃材に変える。建築廃材ってほぼタダで仕入れることができるので、それで月15万くらいは浮かすことができました」。

そうして、なんとか経営を黒字にしても、残るのは月平均で約10万の利益。その中から、自分に当てられる人件費はわずか5万円だったそう。「でも、お金を使うことが本当になかったんです。仕入れのある日は朝の7時から薪を取りに行って、10時くらいに戻ってきて。そこから湯を沸かす作業。店を開けたら、夜の23時まで営業。そこから風呂の掃除をして、深夜2時くらいに寝てという生活を繰り返していました」。

銭湯経営の厳しさに打ちのめされることになった湊さん。「集客も思ったように伸びないし、どんどん設備も老朽化していって。気持ちの余裕もどんどん無くなり、最初の1~2年はいつ辞めようかと毎日心のどこかで考えていました」。

さらに頭を悩ませたのが、風呂の湯が抜けてしまうという銭湯として致命的な不備。「毎日湯を沸かす時間が余計に掛かるし、燃費も悪くなっていって。営業中も目減りするくらいになったらマズいので、腹を括って業者に修理を依頼したんですけれど、これがなかなか直らなくて。こちらも素人でどうしたら良いか分からないし、お金だけどんどん無くなっていく状況で。最後、ここに頼んで駄目だったら辞めようと思って依頼した別の業者が、その人が一発で直してくれた。本当に救われましたね」。

設備が改善されたことで、業務効率も格段に向上。「そこから朝風呂をはじめたり、15時から23時だった営業時間を大幅に変えて、14時から深夜2時の12時間営業にしてみたり。そうするうちに、お客さんの数も徐々に伸びはじめて、利益もきちんと出るようになりました」。

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ニーチェアエックス グレー。畳が敷かれた和室の雰囲気にも、よく似合う。

“銭湯の将来、さらなる上昇のカギは「やる気の受け皿」。”

銭湯文化を残したい一心で、廃業寸前の『サウナの梅湯』の再建に挑み、わずか3年で見事に復活へと導いた湊さん。現在では、京都の『梅湯』『源湯』、滋賀の『都湯(みやこゆ)』『容輝湯(ようきゆ)』と、さらに4軒の銭湯を運営。2020年9月には東京・十条でも新たに1軒の経営のサポートをはじめた。

「『梅湯』が落ち着いてきた3年目、次に受け継ぐことにしたのが滋賀の『都湯』。その3ヶ月後くらいに『源湯』『容輝湯』の2軒も辞めてしまうという話を聞いて。うわ、どうしようと一瞬悩みましたけれど、どちらも個人的に“残したい”銭湯だったんです。ここで引いたら他にやる人なんていないだろうと思って。じゃあもう行くか!と、2軒同時に着手しました。そのときの経験がきっかけで現在では、銭湯のコンサルティングのような新しいスタイルで、もともと経営されている銭湯の方と一緒に僕たちが加わる型も確立しつつあります」。

また、銭湯の再建に取り組む一方で、銭湯業界の裾野を広げるための人材の育成も意識するようになったという湊さん。「僕の『梅湯』での活動を知って、「自分たちも銭湯をやりたい!」っていう若い人たちが僕のもとに相談に来ることも増えてきて。実際に『都湯』や『容輝湯』の再建では、彼らのサポートにとても支えられました。そもそも銭湯業界には、外から入ってくる人たちの受け皿が全くないんです。折角やる気のある人たちが溢れているのに勿体ないですよね」。

湊さんの経営する銭湯に集うスタッフは、大阪、奈良、東京、千葉と出身もさまざま。「基本的には、将来的に自分でも銭湯をやりたいって考えてる人を優先して採用しました。僕としては正直、自分で何軒も銭湯を持つ気はあんまりないんです。なので、お手伝いしてもらっている銭湯の経営が軌道にのって、自分でも出来るようになったら暖簾分けしてもいいし、自分で新しく物件を見つけてもらってもいいと思っています」。

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モザイクタイルの壁画をはじめに、レトロな雰囲気を味わえる浴室

“時代とともに変わりゆく、銭湯のあり方。関わり方。”

よそ者が近寄り難い雰囲気があったという『サウナの梅湯』も、今では街のランドマーク的な存在として、地域の方から観光客まで幅広く愛されている。「銭湯の長い歴史のあいだに、経営者も、利用するお客さんもどんどん流動して変わっている。それなのに、今でも変わらずに残っているということは、それだけで価値がある、良いものがあるという証だと思うんです。じゃあ、それをもう少し現代のスタイルにあわせてやり方、見せ方を変えて提供すれば、生き残っていける普遍的な強さが銭湯には秘められているはず。だから、もちろん資金的にできないという部分もあるけれど、基本的には内装もそのまま。大きく手を加える必要はないと思うんです」。

そのぶん、ソフト面の改善を根気強く続けていくことで客層にも変化が。「どの銭湯も、はじめは本当に若者なんて来ませんでしたが、今では『梅湯』の集客は60%が20~30代です。源湯には、京都市内から、月に2回くらいの頻度で来てくれる若い方が多いですね。そういう人たちは、友達も連れて来てくれる。その友達のまた別の友達とどんどん広げてくれるし、SNSで拡散してくれたりもしますし。普通の銭湯とは全然違う客層なんですけれど、そういう客層にも着実に銭湯の良さをわかってもらえているなと実感がありますね」。

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独特な雰囲気を醸し出すオブジェも、昭和後半の改装時からそのまま

一方、新規のお客さんと同じくらいに重要なのが、いわゆる“常連さん”たちとの関係。「(新しく来られる方を)歓迎してくれる常連さんも勿論たくさんいるんですけれど、排他的な方もやっぱりいらっしゃいます。銭湯が自分の居場所だという気持ちが強いぶん、そうなっちゃうのかな。地域の方々なので、街で顔も合わせるし、言いづらいなって気持ちもあって、最初の1、2年目はすごく悩みましたよ。でも、新規のお客さんを怪訝に扱うような人は、もう常連さんではなくて、ただの迷惑客。そこはちゃんと注意して、改善されないようだったら入店をお断りすることもあります。そうやって客層を変えていかないといけないし、結果的に正解だったなと今になっては思います」。

それでも、若者、お年寄り、外国人や、障がいを持っていたり、病気をかかえている方など、さまざまな人が集まるのが銭湯。どうしてもトラブルはつきものです。「例えば、外国人向けに入浴マナーの表みたいなものがあっても、それでは補いきれないですから。日本人としては常識だったり、最低限守らなきゃいけないみたいな部分も、異文化では全くその概念がない。プールみたいな感覚でネックレスやサングラスをしたまま入っている人がいたり、浴槽に浸かりながらビール飲んでいる人がいたり。斜め上のハプニングがあるので、本当にびっくりさせられます(笑)」

そんな中、幅広く間口を開いた銭湯づくりには、お客さんの協力が不可欠だといいます。「もちろん店側が主導しなきゃいけないんですけれど、ちょっと水がかかったり、ドアを開けっ放しにしただけで、いきなり怒鳴るみたいなことがあると、言われたお客さんは嫌な気持ちになるだろうし、気まずくなってしまいますよね。だから常連さんであればあるほど、他のお客さんにも寛大な心でいていただきたい。その場にいる全員が浴室内の雰囲気、銭湯の居心地の良さをつくっているんです」。

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日中には、高い天井の開口から柔らかな光が差し込む

“銭湯活動家、30歳の中間地点から見える景色。”

20代半ば、銭湯の「せ」の字も分からぬままにこの業界に飛び込んだ湊さんですが、「いろいろなお客さんがくる銭湯だからこそ、日本の社会について考えることが増えましたね。例えば障がいをお持ちの方に対してどうしたらいいんだろうって福祉について調べたり、設備を直すために社会保障や税金のことを調べてみたり。どれも銭湯をやってるからこそ知ることができたことなので、そこはすごく有り難い」と、この5年を振り返ります。

銭湯の経営を通じて出会えた人、得られた経験も湊さんの宝物。「梅湯の二階に彫もの屋(タトゥーショップ)が入っているんですけれど、彫り師の彼も、お客さんとして来てくれたのがきっかけです。あとは、僕の活動を見て、銭湯の娘さんや息子さんが刺激を受けて、受け継ごうとしてくれたりという話も聞きます。銭湯を古臭い、お年寄りの行くところみたいなイメージから、かなり変えることはできたと思うので、そういうのはとても嬉しいですね」。

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「早めに銭湯を始めてよかった。30代はもっとやっていきますよ」と湊さん

今年で30歳を迎えた湊さん。「もともと古道具とか、昔のものが好きなこともあって、新しいもの新しいものって追っていって、それも一過性のもので、という消費スタイルに疑問があるんです。僕に余力さえあれば、銭湯以外でも“継承”という形でいろいろやりたい。例えば、定食屋さんとか。おじいちゃんおばあちゃんが作っているおいしい定食のレシピをそのまま引き継いで飲食店とかやればいいのになって。世の中にそういう、まだまだ活かせるものがあるのに、時代の流れで人の目につかなくなって、廃れていくのを見捨てるのは勿体ない。たまたま僕は銭湯に出会ってここまでやってきたけれど、その気さえあれば、それが何であってもできると思うし、若い人こそ飛び込んで、どんどん挑戦していけばいいと思います」。

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湊三次郎

minato sanjiro

1990年に静岡県浜松市で生まれ、大学生の時に京都へ。銭湯サークルを立ち上げ、京都府内で200軒、合計で700軒ほどの銭湯をめぐる筋金入りの銭湯好き。アパレルメーカーに勤務後、脱サラして「サウナの梅湯」を再建する。そのほか京都府1軒、滋賀県2軒の計4軒の銭湯を経営する銭湯活動家。

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