デザイナー・監修

「ニーチェア」はどのようにして生まれたか

デザイナー・監修

新居 猛と島崎 信の出会い

(左)島崎 信 (右)新居 猛

ニーチェアエックスのデザイナー新居 猛と監修を務める島崎 信氏が初めて出会ったのは、1960年の暮れの徳島。島崎氏は、1958年からデンマークの王立芸術アカデミーに研究員として派遣され、研修先のコペンハーゲン市立技術研究所で、木工技術の研究を行っていた。その際の指導教授であるボーエ・イェンセン氏を、中小企業庁が企画した家具技術向上のための講演会に招聘することとなり、島崎氏は通訳として全国に帯同した。新居とは、その徳島会場で出会った。

1989年に島崎氏が企画監修した、
東京国際家具見本市「フォールディング・ファニチュア展」では、
新居 猛の「特別コーナー」が設けられ、新居が手がけた21脚の椅子が並んだ。

会場では、家具の展示も行われており島崎氏は、そこで新居の椅子を初めて目にした。金属製の脚を持つ軽量の折り畳み椅子を見て、「日本にもこういうデザインができる人がいるのか」と強い印象を受けたという。

翌年、新居は東京の島崎氏の事務所を訪ね、椅子の名前を相談。島崎氏は、新居の姓とデンマーク語で「新しい」を意味する「Ny(ニュイ)」をかけ合わせ、「Nychair(ニーチェア)」と命名した。

「座り心地を落とさず、とにかく安く、
道具のように役に立ってこそ椅子」

デザイナー

新居 猛 | Takeshi Nii (1920 – 2007)

ニーチェアエックスの生みの親であるデザイナー新居 猛は、徳島県の剣道具製造販売業を営む店の三代目として誕生しました。「座り心地を落とさず、とにかく安く、道具のように役に立ってこそ椅子」という信念のもと、「多くの人から愛されるカレーライスのような椅子づくり」を目指しました。

プロフィール
1920年、徳島県生まれ。中学卒業後、家業に従事するも、第二次世界大戦後、GHQにより武道具の製造が禁止に。職業補導所木工コースで修行後、父とともに木工場「便利堂」を開設。1952年より家具の製造販売を開始し、1956年に「木製折り畳み小椅子」を発表。1969年に有限会社ニーファニチアを設立し、1970年「ニーチェアエックス」を発売。その後、1972年「ニーチェアエックス ロッキング」、「ニーチェアエックス オットマン」など、多数の優れた折り畳み椅子を世に生み出し、国内外問わず広く評価される。2007年没。

「ニーチェアエックスは、
良い椅子の条件を
すべて兼ね備えた椅子」

監修 / 武蔵野美術大学名誉教授

島崎 信 | Makoto Shimazaki

ニーチェアの名付け親であり、監修もおこなった島崎 信氏は「よい椅子の条件として、1.座りやすいこと。2.丈夫なこと。3.軽いこと。4.価格が妥当なこと。5.フォルムが美しく、魅力的なこと。さらに、6.折り畳んだときの美しさや安定感があること。ニーチェアエックスはこの6つの条件をすべて兼ね備えた椅子」と評価します。

プロフィール
1956年東京藝術大学美術学部卒業。デンマーク王立芸術アカデミーで研究員として家具デザインを学び、ハンス・J・ウェグナー、フィン・ユール、ボーエ・モーエンセン、ポール・ケアホルムらデンマークのデザイナーたちと交流。北欧デザイン研究の第一人者であり、生活デザインの提唱者として 国内外でインテリア、プロダクトデザインに関わるほか、家具・インテリアデザインの展覧会やセミナーの企画も多数手掛ける。主な著書に『一脚の椅子・その背景』(建築資料研究社)『美しい椅子1〜5』(枻出版社)など。