日本人ならではの感性から生まれた、
21世紀に誇るべき一脚の椅子

島崎 信(武蔵野美術大学 名誉教授)

折り畳み椅子にかける
意気込みと執念

新居 猛 —— その人は、「折り畳み椅子」の開発を一途に続け、一生を懸けて、その創造とデザインに取り組んだ。そして今日、世界的な名作と呼ばれる「折り畳み椅子」を残した人である。

1989年11月、私は、東京国際家具見本市の特別イベントとして開催された「フォールディング・ファニチュア展」の企画・構成をした。
世界にネットワークを持つジェトロ※1(現 日本貿易振興機構)経由で、各国各地の駐在員の協力を得て、当時市販されていた折り畳み椅子を、15か国から270点余り収集。さらにそこへ、国内コレクターの保有する椅子を加えた展示会だった。
その会場内に「新居 猛コーナー」を別に設けて、1956年に氏が自らの手で初めて造った木製の「折り畳み小椅子」をはじめとした、21脚のニーチェアコレクションを展示した。
展示会が開催されていた5日間、新居さんは終日「新居 猛コーナー」の右隅に直立し、見学者の応対にあたられた。その姿に「折り畳み椅子」に対するある種の意気込みと、執念のオーラを感じずにはいられなかった。
そのとき展示された21脚は、後日、新居さんのご好意で武蔵野美術大学 美術館・図書館に寄贈された。「近代椅子コレクション※2」と共に「ニーチェアコレクション」として収蔵され、研究の対象として学内外で展示されている。

※1 ジェトロ
「Japan External Trade Organization」の略称。
海外の市場調査、国際見本市の開催、輸入促進への協力などを行う機関。

※2 近代椅子コレクション
武蔵野美術大学 美術館・図書館は1967年の開館以来、
コレクションの柱の一つとして近代椅子を収集しており、
国内有数の所蔵数を誇っている。

「フォールディング・ファニチュア展」の様子

「出来るだけ」に込められた
椅子づくりの姿勢

私と新居さんとの間には、ニーチェアの名付けをはじめ、ニーチェアエックス 80の共同開発や最晩年のデザイン管理・監修を委任されるという、深いおつき合いがある。そのなかで見聞きしたことを振り返ってみると、今もなお忘れることのできない事柄がこれほど多くあるのかと、私自身驚くほどであった。
たとえば、新居さんが亡くなられる少し前に「ニーチェアエックスが1970年以来のロングセラーになっている理由は、何だと思われますか」と雑談まじりにお尋ねしたことがある。すると氏は、ボソリと、何気ないふうに「丈夫で、安いからですよ」と言われた。その言葉にハッとして、氏の横顔を見つめた時のことを、はっきりと憶えている。

「自転車のように、多くの人々に愛され使われる椅子」を作りたい。
「カレーライスのように、多くの人々に好かれる椅子」を作りたい。

新居さんはこの2つの言葉を、2000年に入った頃から折にふれて言われていた。私も機会があるたびに「『自転車のような、カレーライスのような椅子』とはどのような椅子ですか」とお尋ねし、多くの雑談のなかから断片的な言葉を拾いあげ、まとめてみた。すると、6つの法則が浮かび上がってきた。

その法則の頭にはいつも「出来るだけ」という言葉が付いていた。それは願望と目標を指し、常にそこに続く条件を求める、氏の進行形の姿勢が示された言葉であり、考え方でもあった。

出来るだけ少ない部材で
出来るだけ簡易な構造で
出来るだけ丈夫に
出来るだけ少ない梱包費で
出来るだけ少ない輸送費で
出来るだけ安い価格で

この6つの「出来るだけ…」を新居さんに見せ、「もっと加えることがありますか?」と尋ねると、しばらく考えて『出来るだけ良い座り心地』ですかね、と一つ付け加えられた。

終生のテーマに取り組む
原点は「ディレクターチェア」

「出来るだけ少ない梱包費で」と「出来るだけ少ない輸送費で」の2点は、新居さんが「折り畳み椅子」を終生のテーマとする、原点となる出来事に起因する。
新居さんの家業は、柔剣道用具製造・販売である。しかし戦後、柔剣道はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指示によって禁止されてしまった。そこで1947年、氏は徳島県の職業補導所木工コースに通い、家具職人としての技術を身につけた。
1955年頃、徳島県が地場産業振興のために開催した「参考グッドデザイン展」を訪れた新居さんは、展示されていたデンマークの「AXチェア」に心動かされた。

1950年、デンマークのピーター・ビットとオーラ・M・ニールセンによってデザインされた「AXチェア」は、木製の構造体は成型合板でできており、後脚部分の駒入れ成形(ラケット構造※3)は、それまで椅子の構造では見られなかった斬新なものだった。座と背には皮革のキルティングシート※4が張られているのだが、新居さんは、この皮革部分と木部の留め方に無理があるように感じて、独自の解決策を考えてみようと思われた。
また輸入品である「AXチェア」の本体価格の高さにたいへん驚いた。さらに、梱包材の多さによって全体の容積が大きくなり、椅子本体とは別に、運送費と保管料が発生していることに、新居さんは考え込んでしまう。

その後新居さんは「AXチェア」のシートの皮革の柔らかさから、映画監督などが座る「ディレクターチェア」を連想する。「折り畳む」ことができれば、梱包費と輸送費を少なくできて、本体価格が売り値と直結するのではないかと考えたことが、一生のテーマとして「折り畳み椅子」に取り組む原点になったという。

※3 ラケット構造
「駒入れ成形」は、単板の間に「コマ」と呼ばれる木片を挟み込むことで、
接合部のない一体型の分岐形状をつくる技術。「ラケット構造」は、
木製テニスラケットの柄と面をつなぐ部分と同じ構造であることに由来。

※4 皮革のキルティングシート
新居さんの見た「AXチェア」は皮革のキルティングシートの
ものだったが、背と座も合板のタイプもある。

「AXチェア」

他に類を見ない
折り畳み椅子として
高評価を受ける

椅子は、人間の求める姿勢を支える道具である。ツタンカーメンの昔から、人々はさまざまな形の椅子を造り使ってきた。「時代の変遷と共に人々の生活に変化があっても、今後椅子のない生活を送ることはあり得ないのではないか」というのは、新居さんの考えの一端にあったことだ。
「たたみ(畳)」で暮らす日本の庶民の住まい方のなかに長年「椅子」はなかったが、戦後に外来の生活様式と家具が導入されたことによって、今日の日本の生活には椅子が必要となった。1950年代から60年代には、「たたみの上でも使える椅子」という日本の生活様式に見合った考え方の椅子やその取り組みが広がっていった。

その一方で、1960年頃の海外ではデンマーク製家具、とりわけ木製椅子の全盛時代だった。日本国内では「婚礼家具」といわれる、花嫁の持参家具の洋服箪笥や和箪笥、整理箪笥などのいわゆる箱物家具が、家具屋の主力商品だった。
広島の府中、福岡の大川、静岡をはじめ、全国の家具産地はこれらの箱物家具を製造し、食堂家具といわれる椅子とテーブルの組み合わせは傍流とされていた。

私が恩師ボーエ・イエンセン教授と「デンマーク家具の製造について」講演するために徳島を訪れたのは、1960年の暮れだった。私はそこで見た、スチール製のパイプにビニールのキルティング製の背と座の折り畳み椅子に、強い印象をうけた。「折り畳みデラックス/ニーチェアK2」というその椅子は、座り心地と強度を備えた、当時の日本では他に類を見ない特徴的な「折り畳み椅子」だった。
箱物家具全盛時代の日本の家具業界だけに、「折り畳みデラックス/ニーチェアK2」を扱う家具店は少なかったが、デザイン振興に取り組む行政機関から高い評価をうけ、多くの賞をとった。また知識人層からも、数は少ないが強い支持をうけた。

「折り畳みデラックス/ニーチェアK2」

「出来るだけ・7則」で、
変化の時代を乗り切る

1964年、東京オリンピックによる好景気が終わり、ベトナム戦争や中国の文化革命と、時代は不穏な混迷の時を迎えた。大学閉鎖や学生運動が国内外で起こり、ヒッピーなど既存の制度や慣習、価値観を拒否する脱社会的行動を認める風潮が生まれてきた。
家具・インテリアの世界も例外ではなく、既存の箱物家具や高額な外国家具は影が薄くなり、段ボールやプラスティックなどを素材に色やフォルムの自由な椅子の世界が、新たに生まれてきた。
「ニーチェアエックス」は、そのような時代の1970年に発売された。キャンバスとスチール製のパイプに木製のアームでできた折り畳み椅子は、当時の家具の世界では異質なものとして扱われ、家庭雑貨の椅子とみられることも少なくなかった。また、安い価格は利幅が少ないと、家具店が取り扱いを渋る例も少なくなかった。
しかし新居さんが「出来るだけ・7則」にこだわって造ったこの椅子は、見る目を持った家具店が扱いはじめ、違いの分かる消費層からは関心の的となっていった。
ニーチェアエックスは利幅が少ない点で「好景気の時代には弱い椅子」、その7則で「不景気に強い椅子」といわれ、変化の時代を乗り切り、今日に続いている。

トーネット社「No.14」

ロングセラーは
良い椅子の条件のひとつ

私は「本当に良い椅子とは、何か」という問いに、時代を超え長い年月を経て生産し続けられているロングセラーの椅子は、その答えのひとつになると考えている。
1859年に発表され、150年以上が経った今日なお、世界の各地で製造され、使われ続けているトーネット社の曲木椅子「No.14」は、2億脚以上を生産したロングセラーの椅子として、確固たる地位を保っている。

ニーチェアエックスは、2020年に発売から50周年を迎えた。日本のみならず世界に輸出され、まさに半世紀にわたるロングセラーとして、国内外問わず、多くの方々に迎えられての50年であったといえよう。

ニーチェアエックスの随所には、新居さんが家系によって育まれた知識と知恵、工夫の技術が込められている。
たとえば、美術やデザインの教育をとりたてて受けておられない新居さんだが、真贋の見極めや、美しいものを見る目は、古物商を営んでいた祖父の元で、知らぬ間に養われていたのではないだろうか。
また、柔剣道用具の製造・販売をなりわいとした父の手伝いからは、物を造る技術をはじめ、縫製などでの細部の始末の知恵や作業能率を上げる工夫の技術を得たことが、ニーチェアエックス開発の大きな支えとなっている。
ニーチェアエックスを折り畳んだとき、左右の木のアームをたばねる黒い輪の紐は、剣道防具の小手のくくり紐をそのまま使っておられることにも、その一端がうかがえる。
バウハウス※5の理念としても知られる造形の一面を表す「フォルム・フォローズ・ファンクション(形態は機能から生まれる)」という言葉がある。これは、ニーチェアエックスの一面を表す表現ともいえよう。

私は「ニーチェアエックス」は、日本人ならではの感性から生まれた椅子だと思っている。余分な装飾をそぎ落とした簡素で、その機能と心地よさを見る人に語りかける姿は、日本伝統の「侘(わ)び」と「さび」にも通じる、21世紀に誇るべき「一脚の椅子」だと私は思っている。

※5 バウハウス
1919年、ドイツのワイマールに設立された国立の総合造形学校。
近代建築・デザインの確立に大きな足跡を残した。

島崎 信(しまざき まこと)
武蔵野美術大学 名誉教授

1956年東京藝術大学美術学部卒業。デンマーク王立芸術アカデミーで研究員として家具デザインを学び、ハンス・J・ウェグナー、フィン・ユール、ボーエ・モーエンセン、ポール・ケアホルムらデンマークのデザイナーたちと交流。北欧デザイン研究の第一人者であり、生活デザインの提唱者として国内外でインテリア、プロダクトデザインに関わるほか、家具・インテリアデザインの展覧会やセミナーの企画も多数手掛ける。主な著書に『一脚の椅子・その背景』(建築資料研究社)、『美しい椅子1〜5』(枻出版社)など。